筑紫神社について
「筑紫(ちくし)神社」は、筑紫野市内で最も古い歴史のある神社です。奈良時代の「筑後国風土記逸文」によると、筑前・肥前国境に険しい坂があり、坂の上に荒ぶる神がいて通行人の命を奪っていたので、筑紫君と肥君が筑紫神を祀ったという説話が有名です。これが「筑紫」の国名の由来とともに筑紫神社の起源ともいわれています。
由来
筑紫神社の祭神は筑紫の神(つくしのかみ)、玉依姫命(たまよりひめのみこと)、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)とされ、奈良時代の「日本三大実録」では、筑紫神が従四位に昇格した記録もあるほどで、神社の格式が高かったことが推測されます。また10世紀初めの書物「延喜式(えんぎしき)」には、筑紫神社が名神大社として登場しています。社殿は享徳2(1453)年に筑紫能登守経門と筑紫左近将監俊門が建てたもので、その後、寛文2(1662)年に村人たちによって再建されました。現在の社殿は、寛文年間の建築を伝えるもので、享徳年間の社殿跡はその裏にあり、数個の礎石(そせき)が残っています。
直線的に長い参道が特徴的
直線的に200~300mほどの長い参道。
木のトンネルのようになっており、若干薄暗く感じます。
①参道入口にある最初の鳥居
②次に見える鳥居。ここから木と葉で構成されたトンネルのような道に。
③まだまだ参道は続く。
④長い道の最後に待つのがご本殿
住所
筑紫野市大字原田2550 |