水天宮(すいてんぐう)- 久留米市

水天宮(すいてんぐう)について

元々は源平合戦の最終決戦「壇ノ浦の戦い」のあと、平氏側にいて安徳天皇の母である高倉平中宮(たかくらたいらのちゅうぐう)に使えていた女官のお伊勢さんという方が建久初年(1190)に神様を祀ったのが起源となる神社です。

後述のご祭神を見てもらえればわかりますが、水天宮ではこの方が仕えていた一族をお祀りすることから始まっているんですね。

その後、お伊勢さんは剃髪して名前を千代と改め、周辺の民に請われ加持祈祷などを行っていたところ霊験あらたかであったため、尊崇するものが日増しに増えた結果、尼御前と称えられ水天宮は当初、尼御前神社と呼ばれていたそうです。

最終的にお伊勢さん改め、千代さんは平知盛(とももり)の孫、平右忠(すけただ)を養子として、現在に至るまで子孫が代々宮司職をつとめておられるそうです。

また、筑後川流域は戦場になることが多く、兵禍を避け幾度も社殿を遷した結果、時代は慶長の時に久留米市新町1丁目に遷り、慶安3年(1650)久留米藩2代藩主有馬忠頼公より現在の社地、社殿の寄進をうけこの地に遷し奉られたとのこと。

関ヶ原の戦いの50年後とのことでようやく日本が平和になって落ち着いてきたころでしょうか。

御利益としては水と子供を守護し、水難除け、漁業、海運、農業、水商売、また安産、子授け、子育てとなります。

水天宮は日本全国に分社がありますが、変わったことにハワイにも分社があります。

ハワイのものは昭和27年(1952年)、太宰府天満宮を勧請した際に、ホノルルにあったパラマ稲荷神社・海津見神社・水天宮を合祀したらしい。

ご祭神

 

天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ) 日本の歴史で本当の本当に一番初めに誕生した神様になります。

有名な伊奘諾尊(イザナギノミコト)、伊奘冉尊(イザナミノミコト)より先に生まれています。

誕生した順に偉いとするなら、一番偉い。

また、性別のない「独神」(ひとりがみ)と言われる神々の一柱で、古事記の表現上でも人の形をされていないようです。

(天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)から続いて6柱、全7柱までは独神となります)

安徳天皇(あんとくてんのう) 外祖父「平清盛」の傀儡として満1歳4か月で即位して、平氏が源氏に負けて都落ちした後に享年6歳で入水された天皇陛下。

個人的には歴代天皇のなかでもかなり可哀想なお方。

高倉平中宮(たかくらたいらのちゅうぐう)(建礼門院、平徳子) 安徳天皇(あんとくてんのう)の母親、平清盛の娘。

こちらの方も安徳天皇(あんとくてんのう)と共に入水。

※高倉平中宮は高倉天皇の平氏出身の妻という意味

二位の尼(平時子) 平良の清盛の正室。

高倉平中宮(たかくらたいらのちゅうぐう)の母。

安徳天皇(あんとくてんのう)の祖母。

境内

鳥居

鳥居前から見える景色です。個人的には植物の生い茂りはこのくらいがベストです。

生い茂りすぎると日当たりも悪くなりますがここはそんなこともなく解放感があり、小綺麗な印象です。

狛犬さん

他の神社のよりマッチョでめっちゃ強そう。8頭身?くらいあります。

なんかもうヒョウとかチーターみたいな体系。ちょっと高めの台座におられるので見上げる姿しか撮れず。

航空母艦「千歳」慰霊碑

神社の横を流れる現「筑後川」は古くは千歳川とも呼ばれており、その名前から航空母艦「千歳」が命名されました。

その縁で、「千歳」の艦内神社(軍艦や艦艇などの内に設けられる小規模の神社)として水天宮がお祀りされており大変に縁が深いものとなっています。

筑後川(千歳川)

めっちゃでかい。

そして川辺が整備されてて、散歩に軽いスポーツなんかも全然できる感じになっています。

ここ見るだけでちょっと久留米に住みたくなりました。休みの日に、ここの川辺にパラソルさしてのんびりしたい。

御朱印

初穂料は300円でした。

来訪時の交通機関について

JR久留米駅が割と近いので電車での来訪も可能かと思います。

駅からだいたい徒歩だと10~20分くらいで到達できるかと。

その他、駐車場も完備。

第一、第二駐車場とあり、自分が使用した第一駐車場は10台以上は止まれそうでした。

第二については広さは確認できず。

(ちなみに自分は朝8時ごろに車で行ったら、駐車場は封鎖されておりました。8時50分くらいから開放されるようでそれまでは別の場所で時間つぶしてました)

周辺のお店等

基本的に前述のJR久留米駅当たりまでいかないと食事、休憩等できそうなお店はありませんでした。

JR久留米駅あたりまで行けばジョイフルなどのファミレスもありのんびりできるかと。

場所

福岡県久留米市瀬下町265