篠崎八幡神社(しのざきはちまんじんじゃ) – 北九州市

由緒

仲哀天皇9年、神功皇后が三韓を攻め、凱旋して筑前国宇美にて皇子(後の応神天皇)を御出産。
翌年、穴戸(長門)の豊浦宮に向かう途中 鷹尾(高尾)山にさしかかると、皇子は山頂の大石を見るやその上に初めてお立ちになり、長浜や文字ヶ関(門司)から遥かに穴戸の方角を望み、「穴戸は近し」と言われたと伝わります。
敏達天皇12年、勅命によってこの故事に基づき、鷹尾山の麓、朝倉谷において応神天皇、神功皇后、仲哀天皇を祀り、葛城小藤丸をして祭祀に当たらせました。「篠崎神社」の創建です。(鷹尾山は現在地の約1㎞西にあったといわれています)
天平2年(730)宇佐八幡宮より分霊を勧請。「篠崎八幡神社」と改めました。

御祭神

諱を品陀和気命(ほむたわけのみこと)と称し、仲哀天皇の第四子として息長帯比賣命(おきながたらしひめのみこと)、すなわち神功皇后との間にお生まれになりました。
応神天皇は御神託により、生まれる前から天下を治めることを告げられ、また臨月を迎えていた母、神功皇后は「事を終えて無事出産するように」と祈念をこめた石、「鎮懐石(ちんかいせき)」を腰にはさみ、出産を延ばしたうえ男装して出陣。
三韓征伐より凱旋ののち、筑紫にて無事ご安産されました。
以来、応神天皇はその神秘的な出生から胎中天皇とも呼ばれました。
北九州、福岡の八幡神社には大変なじみが深く、たくさんの伝承を各社に残しております。古事記によれば百三十歳まで存命だったといわれています。

アクセス

住所
〒803-0861 福岡県北九州市小倉北区篠崎1丁目7−1