「宮地嶽神社」(みやじだけじんじゃ)- 福津市

宮地嶽神社の拝殿

「宮地嶽神社」について

全国にある宮地嶽神社の総本社にて、開運商売繁昌の神社として知られている神社です。
およそ1600-1700年ほど前に「神功皇后(じんぐうこうごう)」が古事記、日本書紀等で渡韓の折、この地に滞在され、宮地嶽山頂より大海原を臨みて祭壇を設け「天命をほう奉じてかの地に渡らん。希(ねがわ)くば開運をた垂れ給え」と祈願されたといわれています。
その後に神功皇后を主祭神とし、随従の勝村・勝頼大神を併せ、「宮地嶽三柱大神(みやじだけみはしらおおかみ)」としてお祀りしました。
以来、宮地嶽三柱大神のご加護のもとで「何事にも打ち勝つ開運の神」として多くの方に信仰されるようになりました。
その後、そのご神徳にあやかろうと商いをする人々が、商売がますます繁昌するようにと願い、幾度となく当社を訪れるようになり、いつしか開運・商売繁昌の神様として慕われていくようになりました。

ご祭神

息長足比売命[おきながたらしひめのみこと](別名:神功皇后[じんぐうこうごう])
勝村大神[かつむらのおおかみ](別名:藤之高麿(ふじのたかまろ)※1)
勝頼大神[かつよりのおおかみ](別名:藤之助麿(ふじのすけまろ)※1)
※1・・・神功皇后の渡韓に従軍した方のようです。

宮地嶽神社の特徴

宮地嶽神社には3つの日本一があります。

大注連縄

直径2.6メートル、長さ11メートル、重さ3トンの日本一の大注連縄は当社のシンボルでもあります。 この注連縄は、毎年掛け替えられ約2反の御神田に、昔ながらの稲を生育させ、丹精込めたワラにてなわれます。稲の発芽から注連縄の掛け替えまで、全て当社に縁の深い方々による奉納で、掛け替えまでには、延べ1,500人もの方々による奉仕を頂きます。

大太鼓

直径2.2メートルの日本一の大太鼓です。今日では全国に、この太鼓より大きな太鼓がありますが、当社の太鼓は全て国内より調達した材料により製作されています。太鼓の銅は檜を原木とし、その表面に漆を幾重にも重ねて音の響きを大切に致しております。 その上、左右の鼓面には和牛の皮を太鼓用になめしたもので、今日の国産和牛では入手できないサイズの皮で調製されています。 例年、1月1日午前零時に大太鼓は打ち鳴らされ、その音は、境内から数キロ離れた所にも響きます

大鈴

重さは450kgもある銅製の大鈴で、篤信の方のご奉納によるものです。 昭和35年迄は大注連縄と共に拝殿に飾られ、ご参拝の方々が驚かれていたのですが、その重量の為、今日では鈴堂を建立し、大太鼓と共に奉安しています。 この様な、大きな品はご信仰されます方がご自分の神様への篤い御心を形にされるものです。とりわけ、大注連縄・大太鼓・大鈴の3種は日本一を誇るものです。

入口となる宮地嶽神社の鳥居

宮地嶽神社の入り口鳥居

道路の交差点に接する最初の鳥居です。
こちら鳥居の中の道も普通の車道になっていますが、パット見は通る人も危なければ、車の運転手も運転が辛そうです。
その通りがまた観光客用のお土産屋さん多々なため、観光客となる方は車にご注意を。
その車道を抜けた先に神社の長めな階段と共に大きな鳥居の配置が続きます。
宮地嶽神社の階段下鳥居
宮地嶽神社周りの当時の人々
鳥居をくぐり階段の踊り場あたりに「六百俵の碑」なるものがあったので見てみました。
そこには、この一帯の人達が200~300年前に見せた当時の勤勉さを残すための逸話が。
水不足な土地なら、村民総出で池を作ってしまえという発想と根性がすごい。

 

宮地嶽神社の拝殿と大注連縄

もう遠目な時点で日本一大きいといわれる注連縄(しめなわ)が非常に目立つ拝殿です。

 

宮地嶽神社の朔日参り(ついたちまいり)に5円玉

あまり意識していませんでしたが、丁度参拝が月初めでしたので毎月の朔日参り(ついたちまいり)と重なり朝8時まえでも人が多めでした。
社務所前で紐付きの5円玉が置いてありましたが、こちらは朔日(ついたち)に都度交換しにくるものらしいです。

 

奥之宮八社

八社巡れば大願成就すると言われる八つの神社への入り口。
結構な広さで、じっくり回れば小一時間ほどかかるかも。

 

宮地嶽神社の御朱印

初穂料は300円でした。

 

宮地嶽神社に来訪時の交通機関について

電車の場合、JR福間駅下車後は以下の手段があり。
■福間駅から西鉄バス乗車、バス停「宮地嶽神社前」にて降車。
■西口駅前広場にタクシー乗り場あり。
■徒歩にて約25分(約2km)。

宮地嶽神社の場所

〒811-3309 福岡県福津市宮司元町7-1