英彦山神宮(ひこさんじんぐう)について
福岡県田川郡添田町の英彦山にある神社です。
英彦山は田川郡添田町と大分県中津市にまたがる標高1,199mの山で日本百景・日本二百名山の一つに数えられます。
英彦山は古来から神の山として信仰されていた霊山です。北岳・中岳・南岳で構成され、英彦山神宮は山頂から山腹にかけて産霊神社・中津宮・下津宮・玉屋神社が建てられています。
英彦山神宮の歴史
継体天皇25年(531年)北魏の僧・善正(ぜんしょう)が英彦山山中で修行中に、猟師の藤原恒雄(こうゆう)が猟をやっている姿を見て殺生の罪を説きやめるよう説得したそうです。しかし恒雄は説得を無視し白鹿を射てしまいました。その時、羽の鷹が出現して白鹿に檜の葉に浸した水を与えると、白鹿は生き返りました。それを見た恒雄はこの白鹿は神の化身なのだと悟り、善正の弟子となって当社を建立したとされています。
「英彦山」という名前の由来は天照大神(伊勢神宮)御子、天忍穂耳命(アメノオシホミミ。アマテラスの子)であることから「日の子の山」即ち「日子山」と呼ばれていました。
弘仁10年(819年)に詔(みことのり)によって「日子」の2文字を「彦」に改められ、また享保14年(1729年)には、院宣(いんぜん。上皇からの命令を受けた院司が、奉書形式で発給する文書。)により「英」の1字を賜り「英彦山(ひこさん)」と改称され現在に至ってます。
見どころ
英彦山神宮は大きく分けて摂社、末社、所管社で構成されており、多くの神社を参拝することができます。
摂社は産霊神社・中津宮・下津宮・玉屋神社、末社は大南神社のほかに10つの神社、所管社は招魂社などがあります。
銅の鳥居
参道入口の銅(かね)の鳥居。400年ほど前に寄進されたようで、その頃から英彦山(ひこさん)と呼ばれるようになった様子。
軽い気持ちで来た参拝者の心を折る参道
基本的にみんな一番上まで登るつもりなのか本気の登山者の装備の方が多めでしたが、下記の写真は銅の鳥居をくぐってすぐ見える参道の光景。
ほぼほぼ直線の参道ですが、坂道でゴールが見えず。それなりに疲れそうな参道でございます。
坊
英彦山の参道ですが、道の両側に「坊」と言われる建物が沢山見られます。
最初はこれなんだろう状態でしたが、どうやら坊というのは山伏の家らしいことが判明。
詳しく看板に書いてました。
こちら内装も見れる坊。割と普通の日本家屋。
内装。畳の良い匂いがしました。
中には山伏が実際に使用してた道具類が。下記は薬を作っていた道具らしい。薬の袋、すり鉢、天秤。もしかして山伏って昔の薬剤師さん?
山伏といえばな法螺貝。正直どれだけの肺活量がいるのか。
英彦山はスロープカー完備
道半ばですが、まだまだゴールは見えず。
とはいえ、実はこの英彦山スロープカーがありますので、足腰に自信がない人でも実は問題なく頭頂に行くことはできます。
一番下の乗り場がこちら。
2019年現段階の料金表がこちら。
英彦山神宮奉幣殿
ようやく奉幣殿に到着。奥の宮は山頂なので今回は断念です。
階段を登りきってすぐ横に見える社。
なにやら祭儀があるようで忙しく関係者の方が歩き回っていました。
正面からの図。
おまけ。仏教徒は。キリスト教徒は。そして山伏とは。
博物館ちっくな場所で面白いものを発見。
Made In Japanな十字架とマリア像だと思われるのですが、クルス(クロス)に如来ってついてる・・・。そしてマリア像に観音ってついてる・・・。
えーと、これは仏教徒が持つのかな?キリスト教徒が持つのかな?そしてこれを持ってたのは山伏さん?当時の宗教観が非常に気になる品でした。
主な年間行事
・松柱神事(1月1日)
・節分祭(2月3日)
・祈年御田祭(3月15日)
・御神幸祭(4月)
・招魂社慰霊祭 (5月6日)
・大祓式 (7月31日)
・例大祭、権現講社大祭 (9月28日)
・産業安全感謝祭 (11月初旬)
・大祓式、除夜祭 (12月31日)
御祭神
・正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)
・伊耶那岐命(いざなぎのみこと)
・耶那美命(いざなみのみこと)
ご利益
・必勝祈願
・農業生産、鉱山、工場の安全の守護神
など
英彦山神宮へのアクセス
・公共の交通機関を利用の場合
JR添田(そえだ)駅からバスで約30分
・車を利用の場合
九州自動車道・小倉南インター・八幡インターから約1時間
大分自動車道・日田インターから約1時間
住所
〒824-0721 福岡県田川郡添田町英彦山1