坂本八幡宮(さかもとはちまんぐう)- 太宰府市

概要

都府楼跡の近くになる小さな神社という感じですが、新元号「令和」発表でいきなり時の場所となった神社です。

由緒等

この坂本八幡宮は土地神・・産土神として崇拝されている神社で応神天皇を御祭神としています。
「圓満山四王寺縁起」によれば「嵯峨天皇弘仁二年(八一一)辛卯二月勅宣にて四王院に釈迦仁の像を造立し有智山寺の沙門鳳詮法師及行願具足の僧十一輩を移し開眼供養を遂げられ水田五十町を寄附し給ふ。鳳詮法師は坂本に住して善正寺と号す。又坂本坊と呼り。」とされ,平安時代にはこの坂本の地に四王寺の座主坊としての善正寺が成立していたとされています。
坂本にあったこの寺は中世は天台宗の寺院で,本山の比叡山に習い九州の天台系寺院には境内に八幡宮を祭る形が多く見られます。
当社の勧請時期は「福岡県神社誌」(一九四四年刊)の記述によれば「天文・・弘治の頃」(一五三二〜一五五七)の戦国時代とされていますが,おそらくこの頃に寺院が廃れ土地を経営する現在の坂本区の原型となる村落ができ,その村の鎮守として寺の境内にあった社が再興されたものと考えられます。
境内入口南側にある「がらんさま」と呼ばれる立石は天台寺院の故地によく見かけられ,寺の中心地や結界となる境に置かれることがあるようです。
この場所が大字の境で「辻」という小字であることも,当社の鎮守としての性格を表しています。
古代には太宰府や九州を守護する寺であった四王寺が形地を変えながら,現在では坂本区の鎮守として生き続けています。
(境内掲示板より)

御祭神

応神天皇(おうじんてんのう)

御利益

家系繁栄
厄除

新元号「令和」の由来

『万葉集』に収められている大伴旅人(おおとものたびと)が開いた梅花の宴で詠んだ歌の序文に由来します。

梅花の歌 32首の序文
「初春の月(れいげつ)にして、氣淑(きよ)く風(やわら)ぎ、梅は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を披(ひ)き、蘭は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かお)らす。」
(現代語訳)初春の良き月、気分はうららかで、風は穏やか。梅は鏡台の前のおしろいのような色に花開き、蘭は腰につける匂い袋のように香っている。

この宴を催した大伴旅人は、大宰府で働いており、その邸宅は坂本八幡宮あたりであったとされています。

境内の様子


神社の全景。


元号を掲げるポーズで写真撮影ができます。


神社近くの都府楼跡

神社へのアクセス

西鉄天神大牟田線をご利用の場合
都府楼前駅から徒歩10分程度

太宰府市坂本3丁目14-23